瀬高たかな漬とは

瀬高たかな漬の歴史

日本で初めて瀬高たかなが商われるようになったのは明治時代のことでした。当時の品種は今と同じ「三池高菜種」。

明治20年に旧柳川藩主立花公の命により、立花家農事試験場において、中国渡来の「四川青菜」に在来種の「紫高菜」を交雑させて生み出された優秀種です。現在、最高級と称される「三池高菜(筑後高菜)」は、分厚い肉質(歯切れがよい)、特有の香気、程よい辛みと酸味、どの特徴をとっても他の追随を許しません。

高菜漬は、九州が本場ですが、なかでも福岡県瀬高町の高菜は有名です。九州の中央部、筑後平野を豊かにうるおす矢部川の下流近く、川をはさむようにして並ぶ町並みが瀬高町です。矢部川は、その昔何度も氾濫を繰り返し、これが幸いして、付近の平野をうるおし、砂地で水はけの良い土地となりました。最高級の高菜を生む秘訣は、実はこの肥沃な土壌にあるのです。

高菜の油炒め

福岡県みやま市瀬高町の地元では、昔から乳酸醗酵で酸味が増した高菜漬を油炒めして食べ伝えられてきました。

油いためがなまって、「油あげ(・・・いための意味)」→「あぶらげ」と呼ばれてきました。後にこれを商品化した際に、「高菜油いため」と唐辛子を絡めた「からし高菜」と呼ぶようになりました。

「高菜の油炒め」は、肉厚でサックっと歯切れの良い、唐辛子と乳酸醗酵で酸味を増した高菜漬本来の味を楽しめる…瀬高の地元で愛される食べ方です。

三池高菜とは

三池高菜とは、福岡県の筑後地方南部で明治20年に旧柳川藩主立花公の命により、立花家農事試験場において、中国渡来の「四川青菜」に在来種の「紫高菜」を交雑させて生み出された優秀種です。秋に播種をし、春に収穫する冬季生育型の高菜です。